心臓麻痺で亡くなるまでの 47年間を
小柄な芙美子は下駄を履き カタカタを音を立てながら 胸を張り 一生懸命濃い人生を生きた。
貧しかった芙美子は 「放浪記」がベストセラーになると
片道切符で 1931年11月東京駅からパリへと旅立つ。
下関 釜山 ハルピン モスクワ
芙美子が28歳の時だ。
パリでは狭い部屋で ご飯を炊いて食べ
パリに在住中の日本の知識人 留学生と交わり
売春婦を部屋に泊めたり 美術館 田舎
街を 下駄を履き ある時は靴を履き歩き回る。
そして 部屋に帰り「いい作品を書きたい」と思う。
冬のパリで 日本を懐かしく思い
ロンドンに1ヶ月滞在したのを除いて
4ヶ月間パリで過ごし 翌年の6月に
マルセイユから船で帰国する。
中国 シベリア鉄道 巴里 ロンドン。
他に 樺太 下田 上州 大阪 東京などの
紀行文も含まれる。
高校生の夏休みに 林芙美子全集を読んだ。
半世紀以上も前の事で
小説のタイトルしか覚えていないのが残念だ。
最後に この本を編纂した立松和平が言ったように
私も林芙美子に出会えた事を 幸せに思う。