ニューイングランドと聞くと興味が沸き,読んだり見たりしたくなる。
1925年、ヘンリー ベストンによって書かれた[The outermost house]もその一冊だ。
図書館の棚に「ケープコッドの海辺に暮らして」(The outermost house 邦題)と背表紙に書かれた本のタイトル。中も見ず借りて読んだ。
決して貧しくはない作家がアメリカ、マサチューセッツのケープコッドという海辺に、大工に小さな小屋を建ててもらった。寝食に必要な最小限の家具と鋳物のストーブ。ここでヘンリー ベストンは一年を暮らし,その生活、風土、自然を書き記した。
嵐の日に船が難破する様。その船の残骸が嵐が過ぎれば浜辺に打ち寄せられる。ケープコッドの村人はそれ等を拾いに浜辺にやってくる。鹿が海を泳いで向いの浜に渡る。沢山の鳥が飛来する。一度読んだだけの本だ。細かい所は忘れてしまった。しかし、広い浜辺に建つ小さな小屋。波の音。海を渡る鹿を見つめるベストンの息づかいまでもが、私の心の中に刻みついている。
ヘンリー デイビッド ソロー。
1845年。[The Walden Pond]という本を書いた。今や「森の生活」という邦題でメジャーな生活記録となった。気難しい本だ。
19才の時ソローの事を知った。一人でマサッチューセッツのウォールデンの森に入り、世俗から離れ,自分で家を建て,「沈思黙考」した。30才の頃、文庫本で「森の生活」を見つけた。結構面倒くさい本だった。樹々に囲まれた小屋から余り遠くへは行かず,自分で小屋をたて、野菜を作り,一年余を暮らし,ソローも又,街に帰った。その小屋は朽ち、今あるのは正確に再現されたものだ。
夫の母は70才を過ぎた頃、このソローの小屋を訪れている。もっと詳しく聞いておけば良かったと思う。
ベストンの「ケープコッドの海辺に暮らして」は活き活きと海の音や風の音が聞こえる。
ソローの「森の生活」は、ソローが釘を打つ音、鋸をひく音、遠くを走る汽車の汽笛の音だけが聞こえて来る。その音も森の樹々の間に吸い込まれて行く。暖炉に燃える薪のぱちぱちという音が、小さな小屋の中で暖かく響く。
ベストンやソローの小屋に影響を受けた訳ではない。しかし、今私が住んでいるこの小屋は、彼らの住んだ小屋よりほんの少しは大きいが、負けず劣らず小さな小屋だ。朽木の山向こうの村の杉を夫が一段一段留めていった。引っ越して来るまでの12年間、私達を待ち続けた小さな小屋。大雪にも、強い北風,南風にもめげず、そして今も息をしているようにこの地になじんでいる。
コンクリートの床に土足というのがまず来訪者を驚かしている。少しずつセメントをこね、少しずつ出来上がったコンクリートの床はパッチワーク状で、殆どの人は「貧乏臭い』と感じているようで、それが私にはおもしろい。
最近、照明を変えた。蛍光灯からホウロウの傘に省エネ電球。うちの小屋の為のあるようなこの白い傘と電球は、暗くなると柔らかい光をテーブルの上に広げている。