9日、土曜日。以前一度会った事がある大木の伐採業者の男性が突然「焚きもんいらんか?」と訪ねて来た。薪になる木を頂けるのなら私達は時間を見つけて軽トラで駆けつける、というのがいつもだ。その日は雨なのにチェーンソウを持って今から来いと言う。雨だからと断る。
次の日の10日、夫は京都に前もって用事があって出かけた。いいお天気だった。
そして11日朝7時過ぎ、オッサン(この伐採業者の手伝いをしている平良の男性、通称クマさんがこう呼ぶ)が怒って電話をしてきた。「まだ取りに行っとらんのか!。わしはあそこを一日1万も払とんのやぞ!」。
山から切り倒した大木を一時置いておく為に借りている土地。そこは何年も使われていない広い休耕田で、秋になればそれは美しいススキの原となる。そこが一日1万とは誰も信じない。
オッサンに怒られなくても11日に行こうと決めていたので、軽トラにチェーンソウ2台とお茶におやつを積んで出かけた。
行って驚いた。広い原っぱに直径1m半、長さ2m弱、内側が洞になりそこに土がつまり根が絡まり付いた売り物にならない大きな栃が、まさにバームクーヘンのごとくにゴロンと転がっていた。
そして、14日。新聞、テレビ、インターネットで朽木の栃が生態系を壊してしまう程の乱暴な伐採をされていると言うニュースが報じられた。(高島の栃の巨木、早急な調査と保存必要)
私の頭の中でバラバラだったある出来事が一つに繋がった。
最近クマさんが言っていた。
「伐採した後に環境問題の人間が来てうるさい」
「オッサンの家にまで問い合わせがある」
「オッサンはそれがうるさいので逃げとる」
「大栃をオッサンに売った○○さんが、どうなっとるんや言うてわしに電話してきよる」等々。
成る程、それでオッサンは売れ残りの洞のある栃を早くあの場所から消してしまいたかったのだ。あんなに電話で文句を言うのはかなり焦ってたのだろう。巨木を伐る人間なのに、肝っ玉は小さいもんだ。
大きな木を伐採し売って生活をしている人。それに反して、自然保護の視点から将来を見据えて木を切りましょうと提案している人々や団体。接点はない。そして樹齢数百年の栃の大木がもうすでに何十本も伐られた。
しかし、国、県、市はこう云う事があると言う予測は出来た筈だ。山で木を切る時は何の為、何処の木を、どの様に、誰がという申請をさせ、それに対しての指導 をしているのだろうか。何でも事が起こってからしか動き出さない。そして自然保護団体もそう言う根本の所を行政に働きかけてもらいたい。
自然保護、環境問題、エコロジー・・・耳に口にやさしく響く。これからは地球の将来、未来を考える上で環境問題抜きではいられない。しかし、日本人は「主義」「問題」をファッションにしてしまう。深く根付いた運動でなくてはならない。
クマさんがうちに来て息巻いた。「環境の人間があんまりうるさかったら、オッサンは裁判する言うとる」
そこで私は言った。「相手は環境派の精鋭弁護士をずらっと並べて、オッサンなんかイッチョロコンで負けるで」
私の返答が強烈だったのか、何だったのかは知らないが、クマさんは口をつぐんで空を見つめた。