何時まで続くのかと思っていた猛暑が突然終わった。
山の生活は虫との戦い。小屋のあちこちに張り巡らされた女郎蜘蛛の巣も、夏の間は虫をとってくれるとありがたくそのままにしておいた。
先日、知人が訪ねてきた。その蜘蛛の巣を見て「蜘蛛を飼ってるんですか?」。見上げた軒下によくもこれだけの蜘蛛の巣を張ったものだと、感心する程沢山の蜘蛛の巣があった。涼しくなれば何ともむさ苦しい風情だ。手のひら程もある女郎蜘蛛がじっと私を見ている。ほうきで一気に払ってしまえばすむものを、どうしたものかとここ数日、あちこちに張った蜘蛛の巣を見上げてはため息をついている。
布団も夏布団をしまい冬用の布団にかえると、食べるものも変わってくる。いただいたさつま芋でご飯を炊く。大きめの乱切りに切ったさつま芋、10センチ四方の昆布、酒、塩、醤油を加える。炊きあがって15分後、炊飯器の蓋を開ける。栗かと見まがう様なさつま芋がご飯の上でほくほくしている。シャモジをさっくりとご飯の中に差し込み下からよく混ぜると、香ばしい匂いと共におこげが現れる。「おお、上出来、上出来」と白い大きめの鉢によそう。焼いた塩鮭、小松菜と揚げの煮浸し、人参をチンして醤油とごま油をたらしたの、秋茄子と若布のみそ汁、大根葉と若いカボチャのぬか漬け。まるで自然食レストランのメニューの様な我が家の夕食だ。
寒い間の暖房は我が家は薪ストーブ一つだ。だから、薪はたっぷりと用意しなければならない。一週間程前から夕方暗くなるまでの一時間位を薪割りにあてている。薪として皆が有り難がらない杉が私は好きだ。ストーブの中でボーボー燃えるのがいい。夫はおき火となってチロチロ燃える楢を気に入っている。今年は桜も沢山手に入り、それらは割ると桜餅の様な匂いがする。数日前、冷え込んだ朝に夫はストーブに火をいれた。いくら何でも少し早いんじゃないの?
テレビでは毎回、毎回尖閣列島の中国漁船のニュースを流している。いつの時代、どこの国でも領土、領海問題は簡単には解決策は見つからない。双方引けない事はよく分かる。領土の線引きが戦争の発端だというのはままある。「中国は次から次へと難題をふっかけて来る」「日本は中国に舐められている」とテレビの中のコメンテーターが怒っている。
このニュースを聞き、見ながら私はとても不安だ。温かい芋ご飯、蜘蛛の巣ごときで悩んだり、薪を割り冬に備えるというささやかな生活。庶民感覚から離れた国対国のメンツの張り合い(それだけではないが)で戦争を引き起こし、ささやかな生活が全て壊れてしまう事を私は恐れている。
「国破れて山河あり」と杜甫は詠んだが、破れるのは国ではなく、庶民のささやかな生活なのだと私は常々思っている。