もっともっと遠い所かと思っていた。しかし、白毫寺は宿泊していた所から気候のいい時なら歩いて行ける距離にあった。私の白毫寺についての知識は何十年も前のものだった。奈良市内から離れたひなびた田舎にある様な印象を持っていた。今や,すぐ側まで住宅が建ち並んでいる。
天智天皇の皇子の離宮がこの寺の始まりだと拝観料と引き換えに貰った案内に書いてある。
この寺も今まで見て来た奈良の寺同様、あるがままの姿で立っている。かつては朱や緑に塗られていたであろう柱等も長い年月を経て風化し、木本来の姿を取り戻している。蝉も鳴かず、草取りをしている二人の女性の笑い声だけが聞こえて来る。
東の山並みに立つこの寺から,西の生駒山系がよく見える。皇子や当時の人々は、この高見から奈良の都や生駒の山を見ながら何を思っていたのだろう。
友達は自動販売機が二つもあると呆れ顔だった。私は寺は勿論,自動販売機の周りもきれいに掃除されてるのに感心していた。それぞれ見る所が違うものだとおかしかった。
白毫寺を下り志賀直哉の旧居へ。ゆるい坂道を汗を拭き拭き辿り着いた。
志賀直哉の本は読んだ事がない。「暗夜行路」というタイトルを見ただけで今でも腰が引ける。
私一人なら行かなかったかも知れない文豪の家へ、入場料を払い上がる。この当時の家は金持ち、庶民に関わらず似た様な雰囲気を持っていた。全てが自然素材で建てられているからだろう。そして和洋折衷。洋室の書斎の隣が茶室といった様に。
畳の部屋の隣は大きなテーブルが置かれたダイニング。たくさんの子持ちだった志賀直哉はここで家族と食事をし、訪ねて来る文化人達と会話を楽しんだのだ。サンルームかと間違う程の明るいリビングがそれに続く。庭には芝生が敷かれてとても明るい。しかし,階段が急で、廊下と女中部屋はなぜこんなに狭いのか・・・等々。大きい家だが、しかし、それ程驚く様な事もなかった。それはこの家の持つ品の良さから来る落ち着きにあるのかも知れない。こけおどしの様な下品さが全くない。
さて,この家を見たからと言って,じゃあ,志賀直哉を読んでみようかという気には今の所まだなっていない。