「ここより平良」の標識とうちの小屋との丁度真ん中辺り、県道より数メートル山側に,ずっと気になっていた「お墓」がある。誰のお墓か、どうしてここにあるのか?・・・そして,それから一年後、この不思議な「墓」が何であるかが分かった。
まだこの集落が、今の様に便利に行き来が出来ない頃、病気をしても医者の所にも通えない。そんな時に平良に住む吉岡四良太夫(しろだゆう)さんが、針で村の人々の病気を治した。中々の名医だったそうである。お殿様からは姓をもらい、村の人はその四良太夫さんを讃え道の側に顕彰碑を建てた。墓ではなく碑だったのだ。
この話はそんなに古い話ではない。江戸時代のいつか、長い歴史から見ればついこの間の事である。今、この碑の数メートル下を県道が走り,碑の前の昔の細い道は気を付けて探さないと分からない。
平良に電気が灯り、車の為の道が出来,冬は雪に閉ざされていた村は、今や大雪が降っても朝の暗い内から除雪車が走る。
そして今,この平良から毎日大阪まで通勤している人までいるのである。
四良太夫さんはこの大きな変化を少し上から眺めながら「これが文明というものだ」とうなずいている様な気がする。